「パパ、ママ、なんで勉強しないといけないの?」
「数学なんて大人になってから全然使わないのになんで学校で勉強するの?」
お子さんからこんな質問されたら、どう答えますか?
塾長の私が考える勉強する理由をお話したいと思います。
■あなたは必要としなくても社会は必要としている
個人的には、中高で勉強したことが日常生活でとても活用されており、学校の勉強が役に立たないとは感じていないが、それでも積分、三角関数、化学、など、高校卒業してから一度も触れたことがないものは確かにあります。
世の中の平均で見れば、まったく役に立っていない学校の勉強はもっとたくさんあるかと思います。
「じゃあやっぱ学校の勉強って無駄だよね」と言うのは、ある視点を欠けているかと思います。
学校の教育は、ダンススクールや書道教室のような、一個人の好みや特技を伸ばす場所ではなく、国が社会の発展のための人材を教育・発掘する、かつ国民全員の教養レベルを底上げするというのが一番の目的と私は理解しています。
例えばスマホを発明した人、今でも改良を続ける人はほんの一握りの科学者ですが、日本中ないし世界中の人々がその恩恵を受けています。
しかし、その科学者たちがまだ子供だった時期、誰が将来その科学者になるのか分からないし、自分でも分かっていなかったはずです。社会人になってから突然目覚めて研究者になる人だっています。
だから、いろんな基礎知識を広く浅く教えて、その中でフィルタをかけるように様々な方向へと様々な人材が発見され、更に高度な教育を受けることになるのです。
高校→大学→大学院→研究所/職場などと、段々専門性が高くなっていくのはまさにそういうことです。専門学校で美容師の勉強をするのももちろんその1つです。
なので、結果的には要らなかったね、という勉強が出てくるのは事実ですが、自分は必要としてなくても社会は必要としているし、自分だって将来どんな知識を必要としているのかor必要としていないのか、断言できないでしょう。あるいは途中で職業を変えることだって普通にあります。
また、例え誰にでもできるような仕事しているだけのただの社会の歯車だとしても、高度に発達した社会の歯車なんて誰にでもなれるわけではないのですよ。意外に私たちは日頃高度な活動をしているのです。
例えが良くないかもですが、世間から遮断されたアマゾンのジャングルで生きているような先住民の人たちに、コンビニのアルバイトが務まるとはとても思えません。
私たちのような平凡な人たちもまたこの国や社会を支える重要な一員なのです。
そんな私たちの教育水準が高いほど、社会は安定し、社会全体の生産力や効率は上がり、そのおかげで上で言ったような飛び抜けて優秀な人材がその才能を存分に発揮することができるのです。
ちなみに私も、実は小さい時の夢はエンジニア、大きくなってからは自分が理系に向いていないと気付いて文系になり、大学に入ってからは数学が嫌いで本来経済学部行くはずのところあえて文学部に入ったのですが、その後金融企業に入って、結局経済や会計の勉強で数学とたっぷりお付き合いするようになりました。
学校の数学とは少し違いますが、数字でものを考えたり、数学で学んだような論理的思考は非常に仕事や日常生活に活かされました。
■基礎トレーニング
平安時代なら、一般人は農作業ができていれば人生それで食っていけるし、それ以外にすることもあまりなかったでしょう。
しかし今の時代、溢れんばかりの、しかも真偽が入り混じった情報を処理したり、お金を上手に管理したり、この高度に発達した社会でただ一般人として日常生活を送るだけでも非常に多くの知識と思考能力を必要とします。
更に、新しい知識を吸収するためには、そのための予備知識が必要不可欠で、高度な知識であるほど、高度な予備知識を必要とするでしょう。
学校の勉強はまさにその予備知識であり、学校卒業してからも様々な知識を吸収していきます。学校の勉強はあくまで皆さんの専門性が決まる前に、いろんなものを広く浅く学んでおこうというものです。
また、数学であれば、知識というより、論理的思考のトレーニングという面が大きいと思います。
これらの予備知識や思考力のトレーニングをたくさんやってきた人は、それだけでも相当な教養と思考力が身に付きますし、今度は大人になってからも他人より新しいことを進んで学ぶし、身に付けやすいのです。
逆にそれができていない人はどうなるというと、自分で考える力がなく何でも鵜呑みにする、何か新しいことを学ぼうとしても予備知識が欠けすぎていて何も理解できない、そもそも学ぶという行為自体慣れていなくて、自ら学ぼうともしない……こんな人になってしまいます。
■選択肢を増やす
最後は夢も希望もない非常に実務的なものです。
上で述べた学校の勉強の意義について納得するか否かは関係なく、現代では学校の教育を受けないといけないことになっていますので、ここで無駄な抵抗をするのは一旦やめることにしましょう。
さて、例えばメッシーのように早い段階で特定の分野で超人的な才能が開花している人なら、その道をひたすら頑張っていけば良いのですが、そうでない平凡の人たちがそれなりの人生を送っていくためにはどうしたら良いのでしょうか?
一番現実的なのが、大学出て就職すること。
企業は面識もない多くの学生の中から少しで優秀な人を獲得できる確率を高めようと、まず学歴を見ます。能力の高さは面接だけで判断のしようがないので、過去にどのくらい努力できたかを見るしかありません。
あるいは、独立して起業するにしても、人気YouTuberになるしても、今や何をするにしても、それなりの知識が必要とされます。
すると、とりあえず東大出たけど、でも海が好きだから漁師になりたい!という場合は、普通になれます。もちろん修行は必要かもしれませんが。
しかし中卒で何か尖った特技も知識もないが、大手上場企業で働きたいですと言っても、門前払いです。
1万円を握って結局1000円のものを買うのと、1000円しかないから1000円のものしか買えなかった、というのとは、まるで違います。選択肢をたくさん持っているほうが有利で、その逆だと不利。選ばれる側ではなく、選ぶ側になれ、ということです。
「学歴低くても金持ちになったり成功する人だっていっぱいいるじゃん?」
と言う反論もあるかもしれませんが、そういった事例は非常に少ない、いわゆる「例外」であり、その裏で失敗している人、最初から無理と思って目指してもいない人の割合に注目すべきです。
同じことは、スポーツ選手や芸能人を夢見る人にも言えます。
年収の割合で言うと、年収1000万円以上の人は日本全体でたった5%、皆さんが想像する「成功している人」の年収が仮に2500万円以上だとしたら、なんとたったの0.3%です。
更にこの中で、その「学歴低くても!」というような例外の人は果たして何%いるのでしょうか?
もちろん自分がその例外に違いないと信じることも大事だと思いますが、可能な範囲内で自分の選択肢増やしておくことは、確率の低い夢を追うことと矛盾はしません。二者択一しなければいけないということはありません。
一方、年収1000万など、そこそこ勉強頑張って、そこそこの難関大学出て、そこそこ有名な大手企業に入れば、30代、遅くても40代で1000万に到達します。裕福とまでなくてもそれなりに快適な生活が手に入ります。
例外になるより簡単です。
もちろんその傍らで例外を目指すならもっと素晴らしいです。
なので、勉強しましょう。
それもどうせするなら、なるべく良い成績を取りましょう。